ソーシャルゲーム論的な何か

 さて、二回目の更新になるわけですが、これからしばらくは、このブログでソーシャルゲームに関する個人的な考えを展開したいと思います。

というのも、卒論のテーマにソーシャルゲームを絡ませたいと思っているんですよね。昔からコンシューマーゲームを愛してやまなかった自分にとって、ソーシャルゲームはそれほど不思議で、興味深いテーマなのです。いきなり論文のような形で自分の考えを分かりやすくまとめる自信がないので、今回はその練習台として、このブログを利用したいと思っています。

 もしもこの記事を読んで気になる点や、付け加えたい点があるという方がいらっしゃれば、コメントして下さるととても嬉しいです。

 

 

ソーシャルゲームと世代差

ということで本題に入るのですが、今回はテーマとして、ソーシャルゲームの世代についてお話ししたいと思っています。私たちの社会に現れてからまだ日が浅く感じられるソーシャルゲームではありますが、私はその中で早くも、ソーシャルゲームの「世代差」なるものが生まれてきているように思います。

ソシャゲの登場自体がほんの数年前ですから、もしも世代交代が行われているとすれば、それはほぼ一年や二年単位でのことになります。信じられないハイペースですよね。ですが、それでも「ソシャゲ」とは一括りに言えないほど、あまりにもそれぞれのゲームが持つ性質が異なっているように感じられるんです。

次ではそれぞれの世代について説明してゆきたいと思います。

 

ソシャゲにおける三つの世代

私は、このソーシャルゲームの世代を自分の中で三つに分類しています。名前はそれぞれシンプルに、「第一世代ソーシャルゲーム」「第二世代ソーシャルゲーム」「第三世代ソーシャルゲーム」です。(それぞれの特徴をうまく表すような表現が思いついたら、世代に名前をつけてみたいですね)

 

まず初めに、それぞれの世代の分類の仕方についてまとめました。下のような感じです。

 

第一世代ソシャゲ…2008~2011年頃流行したもの。主にガラケーで行われていたゲー         ムのことを指す。モバゲーやGREEが主力。

         代表作)怪盗ロワイヤル、モバマス など

 

第二世代ソシャゲ…2012~2014年ごろ流行。スマホで行われるゲームを指す。

         圧倒的にガンホーが主力。

         代表作)パズドラ、モンスト、ケリ姫 など

 

第三世代ソシャゲ…2015年以降に流行。スマホで行われるゲームの中でも、特にゲーム         性が高い物を指す。Cygamesが主力。

         代表作)白猫、シャドバ、シンデレラガールズなど

 

ただ、これは本当にざっくりとまとめたものなので例外は多々存在します。例えば、『ポケモンGO』は2016年夏にリリースされたゲームですが、典型的な「第二世代ソシャゲ」として分類されます。世代ごとのもっと詳しい特徴については、後日記事にしたいと思っていますのでご了承ください。

 

 相違点と共通点

さて、次にこれらの世代の相違点についてなのですが、最も大きく異なるのは難易度です。世代が新しくなればなるほど、難易度が高くなっています。

 第一世代から順に考えてみましょう。第一世代は、そもそもボタンで選択肢を選択するだけでゲームをプレイすることが出来ました。これは簡単で、ホントに誰でもできますね。そして第二世代、ここから指先で操作をすることが求められます。とはいえ、比較的操作は単純でまだ万人受けすると言えるレベルになっています。ところが、第三世代からは自体が一変します。高い戦略性やデッキ構築力を求められるカードゲームや、高度なリズム感と動体視力を求められるリズムゲームが主流となってきます。およそ、ゲームに疎い人にとって簡単に手が出せるとは言えないゲームになっています。

 

このように、世代分けをすると新しいものほどゲームの難易度が高くなっているということが最も重要な相違点だと考えています。

 

では共通点は存在していないのか。そんなことはありません。これら三つの世代には「キャラクター消費」という大きな共通点が存在しています。

 キャラクター消費とはどういうことか。簡単に言えば、萌えキャラ販売でゴリ押すということです。ソーシャルゲームをプレイする人は考えてみてください。かわいいキャラクターが存在していないソーシャルゲームは、ほとんど皆無と言って良いほど見当たらないと思います。どのソシャゲにも、何かしら「看板娘」なるものが存在しているのです。そして、そのキャラクターを景品として、ガチャで消費者に課金させるという商法だけはどの世代のソシャゲにも必ずと言って良いほど共通しています。

人によっては腹立たしいと感じるかもしれませんが、この「キャラクター消費・キャラクター商法」こそが三つの世代最大の共通点と言えるでしょう。

 

いかがだったでしょうか。

今回はソーシャルゲームの世代分け、世代ごとの共通点と相違点について記述しましたが、今後はそれぞれの世代の特徴について見てゆきたいと思います。今回よりもさらに細かく、理屈っぽい文章にはなってしまうと思うのですが、もしも興味があれば今後の展開もご覧になってください。 

 

それでは!

 

ブログをはじめました

タイトルの通りですが、この度ブログを始めました。

隔週程度で、気の向くままにダラダラと更新出来たらよいと思っております。

 

さて、今回改めてブログを始めた目的なのですが、それは一重に「長文作成能力の向上」です。

やはりTwitterが情報発信の主な手段となってからと言うもの、私たちの日常から長文を書く機会はめっきりと減ってしまったように感じられます。手軽で便利と言う点でTwitterは本当に優れたコミュニケーショツールだと思うのですが、その手軽さゆえに、説得性が高く、また趣が感じられるような密度の濃い文章を発信出来ないというのも弱点の一つです。

(また、中身のある文章をTwitterで晒すと、大抵自分の立場を悪くする結果に終わるの 

 で全くもって『本心』を呟けないのも弱点です)

 

このような現状で、長文を書く機会を得られるツールとしては、やはり多少下火であれ、ブログが最適だと考えました。

 

また、大学で課題として課されるレポートも確かに長文を作成する機会の一つではあると思うのですが、実際のところ大学のレポートは「質の良い」長文作成の練習にはならないように感じられます。理由は大きく二つです。

一つは「レポートの内容」よりも「提出したという事実」が極めて重要視されること。

分かりやすく言えば、「出しさえすりゃいい」ということです。恐らく、教授も学生のレポートを一つ一つ確認している余裕とやる気がないのでしょう。提出されたレポートの内容を見ずに、提出されたか否かだけで成績をつけている教授も少なからずいると私は踏んでいます。どんなに頑張ってレポートを作成しても、手を抜いて提出した人間と同じ内容の評価にされるんだったら、そりゃ誰も真面目にレポート書こうとはしないよね、という話です。

そしてもう一つ大切なのが、「大学のレポート課題に課される内容が、あまりにも我々の日常会話のレベルから乖離しすぎている」ということです。

大学のレポートが「質の良い」長文作成の練習にはならないと前述したのは、こちらが主な理由になります。

 本当に大学で課されるレポートって「何を言ってるのか分からない」「参考文献が理解できない」ということがしばしば起きるんですよね。もう難しすぎて、何から手をつければ良いのか分からないという状況に陥ることが多々あります。さて、そのようなレポート課題に直面した時私たちに求められるスキルは、もはや「脳内で説得性のある論理展開を構築する能力」などではなく、「口から出まかせをいう能力」なのです。そもそも理解していない事柄について論理的な文章を構築することなど出来ません。しかし、それでも我々がレポートを提出するためには、いかに、参考資料や教授の言葉をかみ砕いて、それっぽい文章をつなぎ合わせることが出来るのかが問われているのです。

詰まる話、大学のレポート課題とは、いわゆる一般で言われるような『文章力』の向上にはあまり役立たないということなのですね。

 

さて、話がそれましたね。今回ブログを始めた目的についてでした。

いずれにしても、最近自分の主義主張を論理的にまとめて展開する機会に乏しく、鬱憤が溜まっているのです。どうせツイッターで小出しに愚痴を呟くぐらいならば、読む人が納得できるような説得性の高い文章に昇華させようと思った次第です。

 

と、さっそくイデオロギー爆裂文章を作ってしまったのですが、こんな感じで適当に更新を続けていこうと思います。もし、暇な方は是非今後もご覧になってください。