出来ることとやりたいこと
電車に乗っている時や、歩いている時。
一人で移動している時ほど、考えごとが捗る時もないでしょう。
3月のある日、就活で電車に乗っていると、ふと懐かしい記憶が蘇りました。
今から3年も前になる話なのですが、ある有名芸能人が僕の地元に講演会でやって来たことがありました。
今や、もはや知らない人はいないくらいの「超人気現代文講師」です。
(ここまで言ってしまえば、もう誰のことか伝わるでしょう)
当時、ちょうど僕が映像授業で大変お世話になっていたのと、お話自体に非常に興味があったことから、是非その講演会を聴講させていただくことにしました。
その講演会は、対象を高校生や受験生に限定したものではなく、一般市民向けの講演会でした。
参加チケットには以下のようなタイトルが載せられていました。
「○○先生 ~人生のモチベーションアップ講座~」
(正式なタイトルについては忘れてしまいましたが、おそらくこのような内容でした)
確かに、多くの人にとって共通して聞きたいものである、一般向けのテーマでした。
テーマが受験でないのなら、一体、先生はどのようなお話をなさるのか。
席に座って待っていると、先生が壇上に現れました。
講演会が始まると、冒頭の挨拶もさながらに、さっそく本題へと入ります。(テレビの通り、毒の効いた切れ味するどい掴みでした)
「長い人生を生きる上で、その人が『何をするのか』、引いては『どんな仕事をするのか』は非常に重要になってきます。これが人生のモチベーションのほとんどを左右すると言っても過言ではないでしょう。その中でも、人間がする仕事は大きく4つに分けることが出来ます」
先生はそういうと、ホワイトボードに以下のような図を描かれました。
(講演会に限らず、授業でもテレビ番組でも先生はよく物事を4つに区分します)
「この図において、左下と右上はあんまり問題にならないんです。まず左下。
『出来ないし、やりたくない仕事』。こんなことハナからやろうと思わないでしょ。例えば、僕の場合はミュージカル俳優。どう見たって向いてないよね。…でも、僕自身もやろうなんて思わないから、そもそも議論の余地がないんです。
今度は右上。『出来るし、やりたい仕事』。これは、最高ですよね。そんなものがあれば、間違いなく、それがその人にとっての天職ですよ。……しかし、現実にはこんな都合の良いことって中々ないんですよね」
先生は苦笑しながらお話していました。
そして、重要な部分はここからでした。
「社会の多くの人にとって、大事なのは残りの二つなんです。『出来ないけど、やりたい仕事』『出来るけど、やりたくない仕事』。このどちらを取るのか。
僕の場合は、若いころに前者を取って挫折しました。企業をしたんですが、結局何千万の借金が手元に残っただけで、大失敗したんですよ。その借金を返すために、仕方がないからやりたくもない塾講師を始めたんです。
(中略)
でも、我慢して出来ることをやっていれば、人に認められるようになります。そして人から認められれば、その内やりたいことをやらせて貰えるチャンスが来るんですよ。
テレビに出演し始めたばかりだった頃、僕はゲストとしてひな壇に呼ばれることがほとんどでした。でも、本当は司会がやりたかったんです。ひな壇だと他の面白い芸人とかに負けちゃうから。しかし、ゲストとして求められている仕事をこなしているうちに、自身が司会の番組を持たせてもらえるようになったんです。
本についても、最初は受験関連の文庫本の執筆ばかりを頼まれていました。別に書きたくもなかったんですけどね(笑)。でも、頼まれたものを書いているとその内、『次は先生が書きたいものを書いていいよ』とオファーが来たんです」
ここで先生は、書きたくて書いた『すし、うなぎ、てんぷら』という自書が、あまりにも売れなかったことを自虐的にお話されていましたが、書きたい本が書けて楽しかったと満足気でした。
先生の場合、「やりたくないけど、出来ること」について卓越した能力を持った方なので、我々にこのお話の全てが当てはまることはないでしょう。ですが、当時は高校生ながらに正論だと感じました。
この話には、3年経った今になってこそ、色々と考えさせられるものがあります。
生きるためには、何かしらの仕事をしなければならない。そして、それはその人にとって「やりたいこと」よりも「出来ること」を取った方がよい。
では、やりたくもないことをし続けることが、果たしてその人にとって幸せな人生なのかと問われれば、疑問に感じるところもあります。
結局のところ、人生に正解なんて存在はしません。最終的な人生の決定権はその人にあるのですから、その人が好きなように決定して就く仕事を選べばよいのだと思います。
ただ一つだけ感じたのは、どのような進路を選択するにしても、自分が社会で必要とされる武器は、何かしら持っておくべきだということです。
もしも「やりたいこと」で失敗しても、「出来ること」を使って立ち直ることができれば、比較的傷口は軽く済みます。
そんな武器を探し出して、磨く努力が大切である、と先生は言いたかったのではないでしょうか。
そんなことを考えながら、オンシャへの坂を上った3月のある日でした。
祈られました。